はじめに:RAGシステムの「もどかしさ」
「社内ドキュメントを検索させたいのに、ベクターDBだけだと的外れな回答が返ってくる」 「複数の文書にまたがる関係性を理解させたいのに、うまくいかない」
RAG(Retrieval-Augmented Generation)を実装した開発者なら、一度はこのような壁にぶつかったことがあるはずです。
従来のベクターRAGは、埋め込み(Embedding)によるセマンティック類似度検索に依存しています。これは単純な質問には有効ですが、「複数のエンティティ間の関係」や「文書全体の要約」 といった複雑なクエリには対応しきれません。
そこで登場したのが、GraphRAG(グラフRAG) です。Microsoftが2024年に公開したこの手法は、ナレッジグラフ(知識グラフ)を活用することで、従来のRAGの限界を大きく超えます。
この記事では、GraphRAGの仕組みと実装方法を、具体的なコード例とともに解説します。

ベクターRAGの限界
従来のベクターRAGの仕組み
ベクターRAGは、以下のステップで動作します:
- 文書の分割: テキストをチャンク(断片)に分割
- ベクトル化: 各チャンクを埋め込みモデルで数値ベクトルに変換
- 類似検索: ユーザーのクエリをベクトル化し、最も近いチャンクを取得
- 回答生成: 取得したチャンクをコンテキストとしてLLMに渡し、回答を生成
何が問題なのか?
この方式には、以下のような限界があります:
- コンテキストの断片化: 文書を分割するため、チャンク間の関係性が失われる
- グローバルな理解の欠如: 「データセット全体の主要なテーマは?」といった質問に答えられない
- エンティティ関係の見落とし: 「AさんとBさんの共通プロジェクトは?」のような関係性クエリが苦手
例えば、企業のプロジェクトドキュメントが100個あるとき、「過去1年間のすべてのプロジェクトに共通する課題は何か?」という質問には、ベクターRAGでは適切に答えられません。
GraphRAGとは?
基本コンセプト
GraphRAGは、ナレッジグラフ(Knowledge Graph) を構築し、それを検索に活用するアプローチです。
ナレッジグラフとは、エンティティ(実体) とリレーション(関係) をノードとエッジで表現したグラフ構造のことです。
例:
- エンティティ: 「太郎」「プロジェクトA」「東京オフィス」
- リレーション: 「太郎 → 担当 → プロジェクトA」「プロジェクトA → 所在地 → 東京オフィス」
GraphRAGのワークフロー
GraphRAGは、以下の4つのステップで動作します:
1. エンティティ抽出(Entity Extraction)
LLMを使って、文書から重要なエンティティ(人名、組織、概念など)を抽出します。
入力: "太郎さんは東京オフィスでプロジェクトAを担当している"
出力: [太郎, 東京オフィス, プロジェクトA]2. 関係性の特定(Relationship Identification)
エンティティ間の関係を特定し、グラフのエッジを構築します。
太郎 --[担当]--> プロジェクトA
プロジェクトA --[所在地]--> 東京オフィス3. コミュニティ検出(Community Detection)
グラフ理論のアルゴリズム(Leidenアルゴリズムなど)を使い、関連性の高いエンティティをグループ化します。
コミュニティ1: [太郎, 次郎, プロジェクトA]
コミュニティ2: [花子, プロジェクトB, 大阪オフィス]4. 階層的要約(Hierarchical Summarization)
各コミュニティに対して、LLMがサマリーを生成します。これにより、グローバルなクエリに対応できるようになります。
コミュニティ1の要約: "東京オフィスのプロジェクトAは、太郎と次郎が担当しており、主にデータ分析を行っている"
GraphRAGの検索方式
GraphRAGには、2つの検索方式があります。
Local Search(ローカル検索)
従来のベクターRAGに近い方式。特定のエンティティに関連する情報を取得します。
適用例: 「プロジェクトAの担当者は誰?」
Global Search(グローバル検索)
コミュニティの要約を使用し、データセット全体にまたがる質問に答えます。
適用例: 「すべてのプロジェクトに共通する課題は?」
| 項目 | ベクターRAG | GraphRAG (Local) | GraphRAG (Global) |
|---|---|---|---|
| 検索対象 | チャンク(断片) | エンティティ周辺 | コミュニティ要約 |
| 得意な質問 | 単純な事実確認 | 関係性のクエリ | データセット全体の傾向 |
| コスト | 低 | 中 | 高 |
| 精度 | 中 | 高 | 非常に高 |
実装:Microsoft GraphRAGライブラリを使う
MicrosoftはGraphRAGのオープンソース実装を公開しています。以下は、基本的な使い方の例です。
インストール
pip install graphrag1. インデックスの構築
まず、文書からナレッジグラフを構築します。
from graphrag.index import create_pipeline_config, run_pipeline_with_config
import pandas as pd
# データの準備
documents = pd.DataFrame({
"id": ["doc1", "doc2", "doc3"],
"text": [
"太郎は東京オフィスでプロジェクトAを担当している。",
"次郎も同じプロジェクトAのメンバーだ。",
"花子は大阪オフィスでプロジェクトBを進めている。"
]
})
# パイプライン設定
config = create_pipeline_config(
root_dir="./output",
input_format="csv"
)
# インデックス構築(エンティティ抽出 + グラフ構築)
run_pipeline_with_config(config, documents)このステップで、以下が生成されます:
- エンティティリスト:
output/entities.parquet - 関係リスト:
output/relationships.parquet - コミュニティ情報:
output/communities.parquet
2. Global Searchによる質問応答
次に、構築したグラフを使って質問に答えます。
from graphrag.query.structured_search.global_search import GlobalSearch
from graphrag.query.llm.openai import OpenAIChat
# LLM設定
llm = OpenAIChat(
api_key="YOUR_API_KEY",
model="gpt-4"
)
# Global Searchの初期化
search_engine = GlobalSearch(
llm=llm,
context_builder_params={
"use_community_summary": True,
"shuffle_data": False
}
)
# クエリの実行
query = "すべてのプロジェクトに関わる人物とその役割を教えて"
result = search_engine.search(query)
print(result.response)
# 出力例: "プロジェクトAには太郎と次郎が関わっており、東京オフィスで活動しています。
# プロジェクトBには花子が担当しており、大阪オフィスで進行中です。"3. Local Searchによる詳細クエリ
特定のエンティティに関する詳細情報が必要な場合は、Local Searchを使用します。
from graphrag.query.structured_search.local_search import LocalSearch
local_search = LocalSearch(
llm=llm,
context_builder_params={
"text_unit_prop": 0.5,
"community_prop": 0.3,
"relationship_prop": 0.2
}
)
# 特定エンティティに関するクエリ
query = "プロジェクトAのメンバーは誰ですか?"
result = local_search.search(query)
print(result.response)
# 出力例: "プロジェクトAのメンバーは、太郎と次郎です。"GraphRAGを使うべきケース
GraphRAGは万能ではありません。以下のようなケースで特に有効です:
✅ GraphRAGが有効なケース
複雑な関係性の理解が必要
- 例: 「AさんとBさんの共通の関係者は?」
データセット全体の要約が必要
- 例: 「過去1年のすべての報告書から主要なトレンドを抽出」
マルチホップ推論が必要
- 例: 「プロジェクトAの担当者が過去に関わった別のプロジェクトは?」
❌ ベクターRAGで十分なケース
単純な事実確認
- 例: 「プロジェクトAの締め切りはいつ?」
リアルタイム性が重要
- GraphRAGはインデックス構築に時間がかかる
コストを最小限に抑えたい
- GraphRAGはLLM呼び出しが多く、コストが高い
GraphRAGの課題とこれから
現状の課題
- インデックス構築コスト: 大規模なデータセットでは、エンティティ抽出に時間とAPIコストがかかる
- リアルタイム更新の難しさ: 新しい文書が追加された際、グラフの再構築が必要
- 精度のばらつき: エンティティ抽出の精度がLLMに依存する
今後の展開
- Agentic RAG: GraphRAGとエージェントを組み合わせ、動的に検索戦略を選択
- ハイブリッドアプローチ: ベクターRAGとGraphRAGを併用し、コストと精度のバランスを取る
- リアルタイムグラフ更新: インクリメンタルな更新機能の実装
🛠 この記事で使用した主要ツール
| ツール名 | 用途 | 特徴 | リンク |
|---|---|---|---|
| Pinecone | ベクトル検索 | 高速かつスケーラブルなフルマネージドDB | 詳細を見る |
| LlamaIndex | データ接続 | RAG構築に特化したデータフレームワーク | 詳細を見る |
| Unstructured | データ前処理 | PDFやHTMLをLLM用にクリーンアップ | 詳細を見る |
💡 TIP: これらは無料プランから試せるものが多く、スモールスタートに最適です。
よくある質問
Q1: ベクターRAGとGraphRAGの最大の違いは何ですか?
ベクターRAGは「類似度」で検索するため断片的な情報取得になりがちですが、GraphRAGは「知識グラフ」を使うことで、文書全体の要約や、複数の要素にまたがる複雑な関係性を理解した回答が可能です。
Q2: 導入コストは高いですか?
初期構築時にLLMを使ってグラフを作成するため、ベクターRAGに比べてコストと時間はかかります。しかし、その後の検索精度(特に複雑な質問に対する)は大幅に向上するため、用途に応じて使い分けるのが賢明です。
Q3: どのようなデータに適していますか?
社内Wiki、議事録、契約書など、エンティティ(人、プロジェクト、組織)間の関係性が重要なデータセットで特に効果を発揮します。
よくある質問(FAQ)
Q1: ベクターRAGとGraphRAGの最大の違いは何ですか?
ベクターRAGは「類似度」で検索するため断片的な情報取得になりがちですが、GraphRAGは「知識グラフ」を使うことで、文書全体の要約や、複数の要素にまたがる複雑な関係性を理解した回答が可能です。
Q2: 導入コストは高いですか?
初期構築時にLLMを使ってグラフを作成するため、ベクターRAGに比べてコストと時間はかかります。しかし、その後の検索精度(特に複雑な質問に対する)は大幅に向上するため、用途に応じて使い分けるのが賢明です。
Q3: どのようなデータに適していますか?
社内Wiki、議事録、契約書など、エンティティ(人、プロジェクト、組織)間の関係性が重要なデータセットで特に効果を発揮します。
まとめ
GraphRAGは、従来のベクターRAGの限界を打破する強力な手法です。特に、複雑な関係性の理解やグローバルな要約が必要なユースケースでは、その真価を発揮します。
ただし、すべてのケースでGraphRAGが最適というわけではありません。まずは既存のベクターRAGで試し、限界を感じたときにGraphRAGを検討する、というアプローチが現実的でしょう。
Microsoftのオープンソース実装を使えば、思ったよりも簡単にGraphRAGを試すことができます。あなたのRAGシステムも、次のステップに進化させてみませんか?
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